(11)帰路《ヒッタイトの足跡を訪ねる旅―第1回》 (2003年8月の旅の記録) (11)帰路 「ここは今イチだったみたいだね」 中に入らなかった夫にも、この遺跡の荒れ果てた様子はお見通しだったが、ベイシェヒルの町から1時間半もかけてわざわざ足を運んだ成果について、一言も私に不満をぶつけようとはしなかった。 「まっすぐアンタルヤに帰るよ」 「うん、おねがい」 すでに予定を大幅にオーバーしていた。このまま車をひた走りに走らせても、アンタルヤ到着は夜の9時をまわることが予想された。 行きにはどんなに遠く思えた道も、帰りにはずっと早く楽に思えるものである。 九十九折りの道が意外に早く終わり、小さな町の中を通り過ぎると、再びガタガタ道が始まった。 しかし500mも行かないで、夫は車をゆっくり右端に停めたのだ。 「どうかしたの?」 「パンクしたよ」 どこかに必ずダメージを受けているはずだとは心配していたが。 すぐに車を降り、後ろ側に回ると、右の後輪が見事にパンクしていた。 大きな振動音に邪魔されて私は全く気づかなかったのだが、さすがに夫にはすぐ分かったのだ。 予備のタイヤを外し、スパナーやジャッキを取り出し、夫は早速タイヤ交換に取り掛かった。今までも頻繁にパンクに遭遇している夫は、新しく日本から専用のスパナーを持ち帰っていた。 ホイールを留めてあるボルトを緩めるため、夫はスパナーを持つ手に渾身の力を込めて回していたが、弾き返されるばかりで一向に緩まないようだった。 「なんでこんなにキツク締めてあるんだ!」 汗をびっしょり掻きながら、夫はボルトに怒りをぶつけていた。 やがてピシッという音がして、スパナーの輪が割れてしまった。 しっかりした日本製のつもりが、ボルトに負けるなんて粗悪品もいいところだった。 道路の端に停車している私たちの車を見て、何台かの車がスピードを緩めて様子を伺いながら通り過ぎていったが、夫がせっせとタイヤに向っている姿を見て大丈夫と思ったのだろう。停まってくれた車はなかった。 しかし、歯の立たないボルトのせいでスパナーも役に立たなくなった以上、誰かに助けを求めるしかなかった。 後方から一台の車が近付いてきた。コンヤ・ナンバーだ。 夫が手を挙げると、そろりそろりとスピードを緩め、私たちの車のすぐ後ろに停まった。 降りてきた男性に割れたスパナーを見せると、男性はさっそく自分の車からスパナーを取り出し、ボルトに噛ませると、スパナーの軸の上に全体重をかけはじめた。 バシッという音とともに、今度はなんとスパナーの太い軸が折れて飛んでしまった。 「アッラハッラー!」(なんてこった!) 私たちは思わず声を上げた。 割れたスパナーに一瞬目を遣ると、男性は車の中からもう一つスパナーを取り出してきた。 この2つ目が無事持ちこたえてくれたお陰で、4つのボルトを無事緩め終えた時には、正直ホッと胸を撫で下ろした。 しかし、仕事はこれからが山場。ジャッキを使って車を持ち上げるのだが、ジャッキの先端を当てても耐えられそうな箇所が少ない上、台になるちょうどいい高さの石がすぐには見つからないのだった。 手を変え品を変え、男性と夫との一致協力でタイヤを交換し終えた時、この男性が車を停めてくれたことを、私たちは心から感謝していた。 ふたりとも手は油汚れで黒ずみ、汗を滲ませている。 心からお礼を述べ、夫が割れたスパナー代だけでもとお礼を用意すると、誇り高いトルコ人であり信仰厚いコンヤの男性は当然のようにそれを固辞し、私たちを後に残し去っていった。 さあ、今度こそ一路アンタルヤへ。 山の中のドライブインで休憩し、軽い食事を取って、いつものハチミツとチーズを購入した以外は、車をただただ先に進めた。 長く緊張したドライブとパンクの一件で精神的に疲れたのか、何もせずただ乗せてもらい、タイヤ交換を見守っていただけの私は、不覚にも途中で目が開けられなくなり、なんども船を漕ぎそうになった。 一方、私たちの誰よりも疲れているはずの夫は、あくびこそすれ、一言も根を上げずに運転し続けてくれた。「この車はよく走ってくれるんだよ」と車を褒めながら。 アンタルヤの我が家へ辿り着いたのは、夜10時。 未知の土地を駆け抜け、古代の息吹に触れ、忘れえぬ風景と出会い、そしてお決まりのように車のトラブルに見舞われた、密度の濃い1泊2日の旅がようやく終わった。 つづく (12)新たなる旅路 |